木を見る西洋人 森を見る東洋人

自分の教養の無さについての再認識させられる一番の場所は大学だ。
日常の生活でも痛感させられる場面というのはたくさんあるけれど、私の場合は、大学ほどそれを真摯に受け止めさせられる場所はない。
今回も本校舎でのスクーリングでそのことばかり考えていたような気がする。

そもそも「教養」とは何か?という定義を考えるのは、そのうち改めて書くとして、じゃぁ教養をつけるにはどうすれば良いのか?と考えた。
とりあえず、本を読みなさいとどこにでも書いてあるので、定期的に意識して自分なりの「教養」に結びつきそうな本を読むようにすることにした。

この日記ではとりあえず「教養の読書」というものを備忘録につけておこうかと思います。(本当はyoshikoo.comを全面リニューアルして本は全部一箇所にまとめたいのだけれど、中々時間が取れず、遅遅として進まず)

ということで、一冊目は
「木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか」
この本では東洋人のものの見方や考え方は「全体的・包括的」であるのに大して、西洋人のそれは「局地的・分析的」であるというのを様様な調査と実験を通じて明らかにしている。
(その調査と実験の話がうんと続くので、途中でだるくなる部分もあることはあるが)私にとっては、頷く事の多い全体に非常に興味深い本だった。

 今の社会は西洋化に流れているように見えるし、特にビジネスの世界にいるとあまりに西洋(特にアメリカ)重視だよなということに気づかされる(自分が単にアメリカの外資系企業に勤めているせいだけでも無いと思う)。
この本を読むと西洋と東洋のどっちが優れているわけじゃないんだよな・・・と感じるし、逆に個人的には東洋の物の見方のほうがずっと成熟しているようにも思える。
特に第一章の「古代ギリシア人と中国人は世界をどう捉えたか」を読むと、やっぱり中国ってすごいなー、深いよなーと改めて感じる。・・・・が、それと同時にアメリカに目を向けた本はたくさん読んでも中国関連って全然知らないや・・・と、で、しばらく中国を中心にしたアジアの本を読んでみようかと思っている。

その前にまずこの本で取り上げられていた以下の2冊を読むつもり。
歴史の終わり
文明の衝突

いつも思うけれど、良い本は必ず次に読むべき本を示唆してくれる。有難いことだ。